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東京家庭裁判所 昭和42年(家)118号 審判 1967年7月10日

申立人 上田透(仮名) 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

一、申立人らは、「申立人らの氏『上田』をそれぞれ『中上』に変更することを許可する」旨の審判を求め、その事由として述べるところの要旨は、

1、申立人上田透は、昭和五年三月一三日に当時の本籍が熊本県玉名郡○○村大字○七四一番地の二(現在の本籍東京都千代田区○○町三丁目一〇番地一)である申立外中上泰吉と養子縁組をなし、同人の養子となり、中上姓を称したうえ、昭和二三年一一月一〇日申立人上田直子(当時新川直子)と婚姻し、熊本市○○町大字○○一六五番地に新戸籍を編製し、その後昭和二六年五月二日に福岡県大牟田市○○町九五番地に転籍したものである。

2  申立人上田透と養父申立外中上泰吉とは、申立人上田透が右中上泰吉の意に反して申立人上田直子と婚姻したことからその間の折合がわるくなり、以後別居生活が続いたのであるが、最近に至り右中上泰吉が高齢のため、その妻申立外中上輝が死後の相続問題を考慮して、右中上泰吉と申立人上田透との養親子関係の解消を強く希望し、右中上泰吉から申立人上田透に対し、離縁の申し入れがあり、申立人上田透もやむなく、昭和四一年一〇月四日右中上泰吉と協議離縁をなし、そのため、申立人上田透および申立人上田直子は、「中上」姓から「上田」姓に復氏し、現本籍地に上田姓で新戸籍が編製されることになつた。

3  ところで、申立人上田透は、昭和三一年四月に、現在の勤務先○○観光株式会社に入社し、現に同社事業部の係長の職にあるのであるが、右会社は運輸、観光、食堂、ゴルフ場等の事業を多角的に経営しており、申立人上田透は事業部係長として専ら対外接渉を担当し、今日まで数多くの得意先をもち、これらの得意先では「○○観光の中上」で名が通つており、今後復氏した「上田」の姓を使用することは、申立人上田透の同一姓を惑わし、職務上の信用保持に著しい悪影響があるのみでなく、勤務先の右会社にも迷惑を及ぼすことになるので、「上田」姓に復氏後もなお事実上「中上」の姓を使用しており、また前記中上泰吉も申立人上田透が「中上」の姓を使用することを容認しており、同人の利益を害することもない。

4  申立人上田透は申立人上田直子との間に、昭和二三年一一月二八日に長男中上英一を、昭和二六年四月二六日に二男中上治雄をそれぞれ儲けているのであるが、申立人らが「上田」姓に復氏したため、親子の姓が別異となつた。もとより、親子の氏が異なるための不便や悪影響は子の氏変更の許可を求めることによつて避けうる途があるのであるが、右二人の子はいずれも父母の氏「上田」への変更を好まず、これを子等に無理に強いることは教育上最も難しい年代にある子等に悪影響を及ぼす虞れがあり、さりとて親子の氏が異なることは、子等の学校関係、就職、更には婚姻等につき不便でもあり、また不利益を蒙むることも明らかで、かかる不便、不利益は、申立人らの氏「上田」を「中上」に変更することによつて避けられるのである。

5  かような訳で、申立人らの氏「上田」を「中上」に変更するやむをえない事情があると考えられるので、これを許可されたく、本件申立を及んだ

というにある。

二、審案するに、本件記録添付の各戸籍謄本、家庭裁判所調査官大野輝房の参考人中上泰吉に対する調査結果報告書並びに申立人上田透に対する審問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  申立人上田透は、昭和五年三月一三日に当時の本籍が熊本県玉名郡○○村大字△七四一番地の二(現在の本籍東京都千代田区○○町三丁目一〇番地一)である申立外中上泰吉と養子縁組をなし、同人の養子となり、中上姓を称したうえ、昭和二三年一一月一〇日申立人上田直子(当時新川直子)と婚姻し、熊本市○○町大字△△一六五番地に新戸籍を編製し、その後昭和二六年五月二日に福岡県大牟田市○○町九五番地に転籍したのであるが、昭和四一年一〇月四日右中上泰吉と協議離縁をなし、そのため、申立人上田透および申立人上田直子は「中上」姓から申立人上田透の実方の姓「上田」に復氏し、現本籍地に上田姓で新戸籍が編製されたこと。

2  申立人上田透が申立外中上泰吉と生活を共にしたのは、僅かに中上泰吉が申立人上田透が中学二年に在学の頃同申立人を引き取り、東京の中学を卒業させるまで養育した間のみであつて、同申立人は成年に達するまで大部分の期間を実親によつて監護養育されたのであるが、右中上泰吉はいずれ申立人上田透と同居する積りで、同申立人と結婚させるため、その配偶者たるべき候補者をも定めていたところ、同申立人が右中上泰吉の了解をえずに、前述の如く申立人上田直子(当時新川直子)と婚姻してしまつたので、同申立人と右中上泰吉との仲は険悪となり、両者とも以来別々の生活を営み、その間はほとんど親子としての交渉もなくなつたこと。

3  右中上泰吉は七六歳の高齢となり、その妻申立外中上輝の希望もあり、自己の死後の相続問題等を考慮し、この際既に事実上親子として何の交渉もなくなつている申立人上田透との養親子関係を解消することを決意し、申立人上田透にその旨申し入れた結果、昭和四一年一〇月四日前記の如く同申立人と協議離縁したこと。

4  申立人上田透は昭和三一年四月に現在の勤務先○○観光株式会社に入社し、現に同社事業部係長として、○○○を職場とし、専ら対外接渉を担当していること。

5  申立人上田透は申立人上田直子との間に、昭和二三年一一月二八日に長男英一を、昭和二六年四月二六日に二男治雄をそれぞれ儲けているのであるが、前記の如く申立人上田透が申立外中上泰吉と協議離縁し、申立人らが上田姓に復氏したため、なお、右英一および治雄は中上姓を称し、親子の姓が別異となつたこと。

三、ところで、申立人らは、現在の氏「上田」を「中上」に変更するやむをえない事由として、申立人上田透が現在の勤務先○○観光株式会社において事業部係長として専ら対外接渉事務を担当し、今日まで数多くの得意先をもち、これらの得意先においては「○○観光の中上」で名が通つており、離縁による復氏後の「上田」という氏を使用することは申立人の同一性を惑わし、職務上の信用保持に著しい悪影響があるばかりでなく勤務先にも迷惑を及ぼすことになることを挙げているのであるが、同申立人が自ら事業を営むか、または勤務先の会社において役員等枢要な地位をしめ、その職務遂行が会社の業務に重要な影響を及ぼすような場合であれば格別、同申立人の前記認定の如き現在の地位および職務からみると、「離縁前の上田」という氏を今後とも称しなければ、その職務の信用保持上著しい悪影響があつたり、勤務先の会社に迷惑を及ぼすようなことになるとは到底考えられず、これをもつて氏を変更するやむをえない事由があると認めることはできないといわなければならない。なお、申立人らは、元の養親中上泰吉が申立人らが今後「中上」の氏を使用することを認めていると主張しているが、家庭裁判所調査官大野輝房の参考人中上泰吉に対する調査報告書によれば、右中上泰吉は、離縁後申立人らが「中上」の氏を使用することを認めておらず、離縁した以上申立人らが「中上」の氏を使用することには絶対に反対であるとの意向を有していることが認められる。

また、申立人らは、中上泰吉との離縁により申立人らと長男中上英一および二男中上治雄と称する氏が別異となり、もとより右子らが父母である申立人らの氏に変更することにより親子同氏となることは可能であるが、右子らは「中上」の氏を申立人らの「上田」の氏に変更することを好まず、この変更を右子らに無理強いすることは右子らに悪影響を及ぼす虞れがあり、さりとてこのまま親子の氏を別異にしておくことは右子らの学校関係、就職、婚姻等につき不便かつ不利益であるので、この事情も申立人らの「上田」の氏を「中上」の氏に変更するやむをえない事由にあたるとする。しかしながら、離縁により親子別氏となつた場合には、子の氏変更により親子同氏となることが可能であり、本件においては、二人の子はいずれも一五歳以上であるので、この二人の子がそれぞれこのまま「中上」の氏を称するか、それとも父母の氏である「上田」へ氏を変更するかを自由に判断してその途を選ぶべきであり、かかる親子別氏になつている事情をもつて、申立人らの「上田」の氏を「中上」の氏に変更するやむをえない事由があるものとみることができないことは詳言を要しないところである。

四、以上の如く、いずれにしても本件においては、申立人らの氏を変更するやむをえない事由があるとは認めがたく、結局申立人らの本件申立は理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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